『さよなら、インターフェース』を読んで、スクリーンの無い未来について妄想した

僕がWeb業界に飛び込んでから一年が経つ。
フロントエンドの端くれとして、今年はデザインについても勉強したい。
あいにく僕は美的センスが完全に破綻している。
せめてUXに関する力を付けるべく、最近それらしい本を読み漁ってる。
そのうち一冊が「さよなら、インターフェース」だった。

さよなら、インタフェース -脱「画面」の思考法

さよなら、インタフェース -脱「画面」の思考法

  • 作者: ゴールデン・クリシュナ,武舎るみ,武舎広幸
  • 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
  • 発売日: 2015/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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概要

The best interface is no interface | Cooper Journal

去年9月発売の本書は、↑のブログ記事に加筆修正を加えたものだ。
元のタイトルは "The best interface is no interface" 。
タイトルのとおり、本書はインターフェースのないデザイン――NoUI――こそが理想である、と主張する。

ペーパーレス社会が実現しつつある現代では、代わりに病的なまでのスクリーン至上主義に支配されている。
デザイナーはスクリーン + GUIによるデザインに依存し、車や家電など、本来不必要な製品にもスクリーンが搭載される。
ユーザーは不自然なUIに振り回され、多大な労力を強いられている。

このような現状を見直し、UIよりもUXに焦点を当てたデザインを目指そう、と筆者は説く。
"NoUIを実現するためのルール" は3つ。

  1. 「画面」に頼らず、解決すべき問題に合わせてデザインしろ
  2. コンピューターに仕事をさせろ。コンピューターに使われるな
  3. ユーザーひとりひとりに合わせろ

本書はそれぞれのルールについて、豊富な実例を引き合いに出しながら、ジョークを交えた砕けた語り口で解説する。

1.のパートでは、Square Walletやトヨタ・プリウスの自動エアコン制御を優れたデザインとして紹介している。
何でもかんでもスマホアプリにしようとしないで、ユーザー操作なしで問題を解決するのが理想、という話。

2.のパートでは、我々がいかにコンピューターにこき使われているかを解説。
ユーザーの入力に対してreactiveに動くのではなく、ユーザーを先回りしてproactiveに動け、と説く。
センサーを活用すれば、ユーザーがデータを入力せずとも自動で最適な処理ができる。
洗濯機などは、使われない機能の為にボタンを付けまくるのではなくて、いい感じにやってくれるボタンが一つあればいいよね、みたいな話。
我が家の洗濯機もいろんな機能があるけど全く使ってないな……。

3.のパートは、ユーザー一人ひとりのソーシャルデータや行動ログを活用するにはどうしたら良いか、という話。
NBAでは、コートを取り囲んだカメラからの映像を利用して、プレイヤーの怪我予防に役立てている、など。

とにかく実例が豊富で、身近な話題が多いので、スラスラ読むことができる。
文章もおしゃべりなオッサンって感じで面白い。

本文のデザインが面白い

こんな感じ。

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公式サイトにある原著の画像をみると、本全体のデザインは基本的に英語版そのままっぽい。
http://www.nointerface.com/book/

www.amazon.com

英語版の表紙は、文字の感じがAbout Faceの表紙にそっくり。
文字をエンボス加工だけで表現しており、ミニマル感あってかっこいい。

おもしろ体験ができるので、紙の本を買うのがオススメ。
kindle版も大して安くないし。
なぜか原著より日本語版のほうが安い。


さよなら、Webサイト?

(以下ネット中毒者の妄想です)

先日、HoloLensの動画を見た。
あまりにもすごくて、興奮して「これが未来だ!!」とか言ってたんだけど、ふと「Web業界って将来無くなるのかなー」なんて思ったりした。

「さよなら、インターフェース」は、ペーパーレスに代わる「スクリーンレス」な社会を目指そう、と提案する。
しかし、スクリーンなしで実現できる体験は、あくまでコンピューターがproactiveに動作するもの、つまり人間が受動的に享受するものだけである。
人間が能動的に情報を得ようと思ったとき、そこには必ずスクリーンあるいはウィンドウが必要になるはず。
それが情報を可視化する最も効率的な形だからだ。
仮にスクリーンがなくなるとすれば、AR/VRの普及により、人間の視覚に直接ウィンドウを表示できるようになった時なんじゃないか。

HoloLensが進化し、24時間着用できるようになったとき、PCモニターやスマホの出番はなくなる。
SiriやCortanaのようなbotが進化し、日常のやり取りが会話で行われるようになるかもしれないが、人間が能動的に何かを行うためにアプリという概念は生き残るだろう。
その内の一つにブラウザも残りつづけるはずだ。
しかしその時、ブラウザはその優位性を失い、数あるアプリの内の一つになる。

スマホの普及により、既にWebの存在はアプリの裏側に隠蔽されるようになった。
しかし、スマートフォンはあくまで日常生活のためのデバイスであり、多くのひとは未だPCを使って作業をしている。
そして、PCではブラウザで殆どの処理を行えるようになってきた。

PCでブラウザが特権的な立場にいるのは、多くの人がフルスクリーンでブラウザを使っていることと無関係では無いだろう。
Twitterを表示するのに、PCの全画面を専有する必要はない。
対して、(少なくとも僕の周りだと)ブラウザは基本的に最大化した状態で使われる。

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画面は今の僕。
ブログを書きつつ、TwitterとSlackをすぐに見れるような状態にしている。

また、多くの処理がWeb上で動くようになったことで、殆どのタスクの管理をブラウザのタブで行っているという人も多いはずだ。
こんな感じに:

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スマホの場合、全てのアプリは同じサイズの長方形で表示される。
ブラウザのタブ切り替えも正直使いづらい。
スマホではブラウザは数あるアプリの内の一つという扱いになっている。

AR/VRではその反対に、無限の大きさのスクリーン上にウィンドウを配置する事になる。
ゲームやアート等、VRでは全天球?に映像を表示するが、ひとつのアプリが「全画面」表示を行うことは滅多になくなるだろう。

こちらのツイートはVR上で動画を配信する cluster.mu というサービスのもの。
動画やコメントそれぞれがウィンドウを持ち、空間上に並んでいる。

スマホもPCモニタも不要になり、すべての情報が空間上に並んだウィンドウで表現されるようになると、ブラウザタブとアプリとの境界が曖昧になる。
結果、あるタブであるページを開く事は、それ専用のアプリを起動することと同じになる。
ユーザーはまるで雑誌を手に取るように、アイコンをタップしてWebサイトを開く。
Web制作はつまり、インターネット以前の出版業界に近い存在になるのではないか。

Webサービス」という業界は、ここ10年で最も時代を反映したビジネスと言っても過言ではないはずだ。
Webサイトという概念が薄れたとき、それは「サービス業」となり、よりありふれたものになっていくのかな、などと考えた。
それはVRよりももっと先の未来なのかも知れないけど。